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吃音についてチョイ辛で批評を書いてます。 モルフォルリズム思想家を自称することもあります。

神と吃音

吃音者にとって神はいない。

「神様。今日だけはどうかどもらないように」

と、祈りをささげるものの、その結果はいつも通りだ。


無神論者が都合のいい時だけ、神様を祀りあげるのも都合のいい話ではあるが。
そう考えると、自分はどの神に対して願いを聞き入れてもらえるよう祈願しているのだろう?
世界にはいろいろな宗教があり、多くの神が存在しているけど、自分の中の神というのは1つだけだ。
ただ、その偶像は確かではない。
心の中で具現化するのは、幼いころに見た絵本の中の神様である。
しかもそれは、いつも異なる神を想像し祈願している。

結局は都合よく作られた神なのだ。

しかし、吃音者にとって神の存在は、唯一のよりどころと言ってもいい。
何をやっても吃音が治らず、一生吃音と共に地獄の道を進むことを考えれば、何かに縋らなければ生きてはいけない。

このような八方ふさがりの時、人には宗教という道に進むことが多い。

しかし、多くの吃音者にとって、社会とのかかわりは大きな負担となる。
仲間意識の強い密な集団を形成すると言われている宗教団体はなおさらだ。

そのため、心のどこかではリアルに具現化された神に頼りたいと思っていても、吃音という障害が邪魔をする。
吃音が人生という道を崩し、そのレールを直すことさえ許さないのだ。

だから吃音者には神はいない。
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